NCC教育方針
1970年設立。Newfield Culture Center の略。塾長自らが留学し、ホームステイした町の名前を起用。
1983年よりアメリカ人選任講師を採用。アメリカ英語にこだわり、外人講師はアメリカ人のみ採用。学校英語も当然の事ながら、将来使える「話せる英語」を目指す。NCCに通った生徒の多くは英語が得意で好きになり、現在一流企業の海外派遣やフライトアテンダント、翻訳など、英語を活用した職業で世界に羽ばたいている。
今後も“英語大好き人間”、また世界に通用する国際人を育てて行きたい。
英語を話せるだけでは国際人になれない。その国の文化、習慣、食生活などすべて理解し、人種、民族に偏見を持たないような子供たちに育てる為、数多く訪れた国々の様子なども授業の中に取り込み、世界に目を向け、興味を持つような子供たちを多く育てるのが狙いである。
塾長からの一言
私がアメリカ留学を目指したのは、今から40年以上も前のことでした。
今ほど留学はやさしいものではなかったです。
1964年、東京オリンピックで日本中が沸きかえっていた時でした。私はアメリカの新聞社に十数通の手紙を送りました。内容は“アメリカで英語が勉強したい。誰か私のスポンサーになって下さい。”というものでした。ニュージャージー州、アトランティックシティーの新聞社が私の手紙をそのまま載せてくれて、数ヵ月後、ニューフィールドに住む小学校の先生をしていた、後にホームステイ先となるアメリカのママから「私達の子供として面倒を見るからすぐいらっしゃい。」と言う手紙が届きました。両親の猛反対を押し切って、アメリカに飛んで行きました。
そこで待っていたのはやさしいアメリカのパパとママ、ママの姉妹のおばさん達。当時留学生は珍しく、ロータリークラブ、学校、教会などいろいろな団体から日本について語ってほしいと招待があり、そのたびに着物を着て出かけ、皆にもてはやされました。当時、私はボランティアーと言う言葉を耳にした事すらありませんでしたが、すでに4人姉妹のママ達は恵まれない子どもたちの面倒をみたり、ハイチに衣類を送ったり、そんなすばらしい家族に囲まれアメリカ生活を送れた事はラッキーともいいようがないです。寛大なアメリカ人から学んだ事は大きく、1970年大阪万博の年、アメリカのパパとママを日本に招待しました。
NCCは、ニューフィールド カルチャー センターの略です。アメリカのママと同じ教育に携わる仕事をし、アメリカンホームのある町の名前を塾名にしたことは大いに喜んで頂けました。自分の数々のすばらしい経験を一人でも多くの子供たちに知ってほしい。そんな思いで40年近くもこの仕事に携わり、生徒たちに与えた影響は大きいと思います。わが子3人も留学させました。
数多くの生徒が留学し、渡米して企業を起こした生徒もいます。現在一流企業で世界中に飛び回っている人、フライトアテンダント、翻訳、通訳、英語教師と、教え子が英語を生かして幅広い分野で活躍してくれているのは大変うれしいです。また、何よりうれしいのは親子二代で教えている生徒が現在も30人以上いる事です。今私には孫が二人いますが、子供は可愛い、そして可能性は大きいです。
英語は欠かせないこの社会で生きて行く為に、NCCは幼児教育に力を入れています。そして社会に貢献できるような子供たちを多く育てていきたいと考えています。